新しくされる

「それゆえ、言え、『主はこう言われる、わたしはあなたがたをもろもろの民の中から集め、その散らされた国々から集めて、イスラエルの地をあなたがたに与える』と。 彼らはその所に来る時、そのもろもろのいとうべきものと、もろもろの憎むべきものとをその所から取り除く。 そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。 これは彼らがわたしの定めに歩み、わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。」

(‭‭エゼキエル書‬ ‭11:17-20‬)

主の霊がエゼキエルをあげて、東に向かう主の宮の東の門に連れて行き、その入口に二十五人の者がいた。その中にアズルの子ヤザニヤと、ベナヤの子ペラテヤという民のつかさ、指導者たちがいた。

主の霊はエゼキエルに言われた、「人の子よ、これらの者はこの町の中で悪い事を考え、悪い計りごとをめぐらす人々である。 」‭(11:1-2)

そして、エゼキエルが彼らにこのように預言するように言われた。「あなたがたはつるぎを恐れた。わたしはあなたがたにつるぎを臨ませると、主は言われる。 またわたしはあなたがたをその中から引き出して、他国人の手に渡し、あなたがたをさばく。 あなたがたはつるぎに倒れる。わたしはあなたがたをイスラエルの境でさばく。これによってあなたがたはわたしが主であることを知るようになる。」(‭11:8-10‬)

主なる神は大きな忍耐をもって民に接してきたが、民は頑なに主に従わず、自らさばきを受けるに至った。主の望む結果からはるかに遠い。

主はエゼキエルを通して、バビロンに捕囚となったイスラエルの民に、「わたしはあなたがたをもろもろの民の中から集め、その散らされた国々から集めて、イスラエルの地をあなたがたに与える。 」と言われた。これぞ主の民に対する心だ。

そしてエゼキエルに言われた。「彼らはその所に来る時、そのもろもろのいとうべきものと、もろもろの憎むべきものとをその所から取り除く。 そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。 これは彼らがわたしの定めに歩み、わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。」

主は民が主のところに来る時、厭うべきものや憎むべきものを取り除き、民に新しい霊を与えると言われた。石の心を取り除き、肉の心を与えると言われた。柔らかい心、最良の状態の心を新しい霊を注ぐことで与えるということだ。

私も悪しき、石のような心で生きるのではなく、新しい霊を受けて、肉の心をもって神に従う者でありたい。

愛する天のお父様、今日もあなたの霊に満たされ、肉の心をもってあなたに従うことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。