私たちを汚すもの
イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」(マルコの福音書 7:20-23)
私たちを汚すものは何かという話である。
さて、パリサイ人たちと、エルサレムから来た何人かの律法学者たちが、イエスのもとに集まった。彼らは、イエスの弟子のうちのある者たちが、汚れた手で、すなわち、洗っていない手でパンを食べているのを見た。パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わずに食事をすることはなく、市場から戻ったときは、からだをきよめてからでないと食べることをしなかった。ほかにも、杯、水差し、銅器や寝台を洗いきよめることなど、受け継いで堅く守っていることが、たくさんあったのである。(マルコの福音書 7:1-4)
パリサイ人たちや律法学者たちにとっては、手をよく洗わずに食事をすることが、汚れた手でパンを食べることだと理解していた。
だからパリサイ人たちと律法学者たちはイエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えによって歩まず、汚れた手でパンを食べるのですか。」(マルコの福音書 7:5)
私たちの多くも、手をあらわずに汚れた手でパンを食べることを不衛生な行為と位置付け、汚れていると考える。
しかしイエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟りなさい。外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」
体の外のものが私たちを汚すのではなく、私たちの中から出て来るものが私たちを汚すとイエスは言われた。
イエスが群衆を離れて家に入られると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。イエスは彼らに言われた。「あなたがたまで、そんなにも物分かりが悪いのですか。分からないのですか。外から人に入って来るどんなものも、人を汚すことはできません。それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた。イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」(マルコの福音書 7:14-23)
汚れとは衛生の話ではなく、私たちの心の話である。もちろん不衛生な食べ方は、私たちの健康に悪影響を与えるが、それ以上に恐ろしいのは、私たちが自分の心を汚れたままにして置くことである。なぜなら私たちの心の汚れは清めない限り永遠の結果を招くからだ。永遠の汚れを清めてくださるのは、キリストによる十字架の上の贖いである。キリストが流された血潮は私たちを罪からきよめ、私たちが信じる時に罪のないものとしてくださった。
愛する天のお父様、あなたが私たちの罪を赦し、私たちに永遠の命を与えてくださったことを感謝します。あなたを信じ、あなたに従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
