大勢の中の一人

彼らの同族で宮の務めをする者は八百二十二人。また、エロハムの子アダヤ。エロハムはペラルヤの子、ペラルヤはアムツィの子、アムツィはゼカリヤの子、ゼカリヤはパシュフルの子、パシュフルはマルキヤの子である。(ネヘミヤ記 11:12)

エルサレムの神殿で仕える人々は822人いたとされる。随分と大人数で神殿に仕えていたようである。おそらく部署があり、階層的に構成されて、分業していたことだろう。

大きく複雑なイベントを催す場合は、大人数が関わるが、それと同時に時間的制約のある中で、段取り通りにことを進めなくてはならない。

人数が多ければ良いわけではない。一人一人には価値があり、名前がある。ここにアダヤという人物が登場するが、この人に関する詳細はわからない。ただエロハムの子アダヤ。エロハムはペラルヤの子、ペラルヤはアムツィの子、アムツィはゼカリヤの子、ゼカリヤはパシュフルの子、パシュフルはマルキヤの子という系図が記録されている。

私たちは人々とどのように接しているだろうか?大人数があると、私たちは効率よく手続きしようとしてしまう。人々は官僚的あるいは事務的な扱いを嫌う。私たちが一人一人の名前を知り、背景を知り、現状を知るのなら、人を軽率に扱うことはなくなろう。

一人の重さ、価値を改めて見つめ直したい。

愛する天のお父さま、あなたが私たち一人一人を名前で呼び、私たちの罪を赦し、あがなってくださったことを感謝します。あなたを信頼して歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。