怒り
「ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、 ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。」(エステル記 3:5-6)
人が怒るのには、さまざまな理由がある。ハマンはモルデカイが自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされた。非常に傲慢な理由である。
それは、アハシュエロス王がアガグびとハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせ、王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいてハマンに敬礼するように命じたからであった。
しかしモルデカイはハマンにひざまずかず、また敬礼しなかった。(エステル記 3:1-2) なぜモルデカイはハマンにひざまずかず、また敬礼しなかったのか?個人的な理由か、それ以外の何かしらの理由があったのか?
怒りに満たされたハマンは、 ただモルデカイだけを殺すことを潔しとせず、アハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図ったのである。
自分自身を高くすることは、他人を低め、場合によっては殺害を企てるなどおぞましき結果に至る場合がある。怒りは強い感情であり、抑制しないならば、何かしらに危害を加える可能性を持つ。だから私たちはものの捉え方が重要であり、普段より自分の感情をコントロールすることができるように鍛錬が必要なのだ。
愛する天のお父様、あなたの前に謙り、怒りを抑え、あなたをあがめ、他人を自分より優れた存在として敬う心をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
