イエスは涙を流された

イエスは涙を流された。(ヨハネの福音書 11:35)

イエスは友ラザロが亡くなった事実を受け止めて涙を流された。実はイエスはラザロが亡くなる二、三日前に、ラザロが病で死の時が近づいていることを聞いていた。しかしイエスは直ぐにラザロのもとには行かず、残っていた。なぜだろうか?

ラザロが死んで後、イエスは弟子たちに言われた。「ラザロは死にました。あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」

主はラザロが死んだ時に、その場に居合わせなかったことを喜ぶには主には何かしらの目的があったのである。

イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられてすでに四日たっていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。

マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」

イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」イエスが直ぐにラザロのところに行かなかったは、イエスが死んで葬られ四日経ったラザロを死から甦らせるためであった。

マルタはイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」(ヨハネの福音書 11:17-27) マルタは終わりの日の甦えりを信じていたが、目の前の弟がその場でよみがえるとは信じていなかった。

イエスはラザロが葬られた墓のところ、涙を流された。愛する友人が亡くなったからである。しかしイエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」

イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」

そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」

そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」(ヨハネの福音書 11:39-44)

私たちは死からの甦りが目の前で起きるのを信じるか?

死人が甦ること以上に大切なのは、死人が甦ると信じて祈ることである。主が望むなら、主の御心ならば、死人は甦るからである。主が最も悲しむのは、イエスを信ぜず、甦ることのないことである。

愛する天のお父様、あなたの御子イエスはよみがえりです。いのちです。イエスを信じる者は死んでも生きます。この希望を感謝します。主イエスキリストのによって、アーメン。