主を恐れることを喜ぶ
「1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。2 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。3 この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、4 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。5 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。」(イザヤ11:1−5)
エッサイの根株から生えた新芽とは、イエス・キリストである。イエスはダビデの子とよばれたが、エッサイの子ダビデの子と血筋はつながっている。
イエスの上には、主の霊がとどまっている。主の霊とは知恵と悟りの霊であり、はかりごとと能力の霊であり、主を知る知識と主を恐れる霊である。
知恵は私たちにどのように生きたら良いかを教えてくれる。悟りは神が明らかにしてくださるあらゆる事柄である。はかりごとは、神のご計画であり、能力は神が働いてくださり、あらゆることを可能にしてくださるということだ。
主を知る知識は、聖書に書かれた言葉の中にある。そして主を恐れることは、主と共に歩むことを指す。
主イエスは主を恐れることを喜んでおられる。自分の肉の思いから離れ、神の思いを大事にしながら主を恐れることだ。主は私たちの目の見るところ、外見によって物事をさばくことはなさらない。主は耳の聞くところによって判決を下さず、私たちの心をご覧になって私たちを祝福し導かれる方だ。
主イエスは正義をもって寄るべのない者たちをさばいてくださるので、私たちは弱さの中で苦しむことを避けようとするのではなく、寄るべのない状態でも私たちを覚えてくださる。主は公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺される。主の言葉、主の思い、主の存在そのものに力があることを忘れてはならない。
主なる神の正義は、私たちの腰の帯となり、私たちの歩みをしっかり結びつけてくれるものとなる。主の真実は胴の帯として、私たちの私たちの歩みを妨げるものとならないようにしてくる。
主イエスを心に受け入れたら、日々主と共に歩みたい。
愛する天のお父様、あなたは私たちにあなたの霊を注いでくださいました。あなたは人々に見えないところを見ておられ、私たちのために力を表してくださいます。あなたを信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
