誰を喜ばせるのか?
「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。あなたがたが知っているとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、貪りの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。」(テサロニケ人への手紙 第一 2:4-5)
私たちは誰を喜ばせ、誰のために生きているのか?私たちの先輩や先生や親、あるいは上司を喜ばせようと必死になっていないか?もしかしたら、私たちの人生を左右する人たちを喜ばせるのはある意味当然のことかもしれない。
大切なのは神を喜ばせることである。しかし、もし私たちが神を喜ばせるのではなく、人を喜ばせることに囚われるなら、私たちはへつらいのことばを用いたり、貪りの口実を設けたりするであろう。
へつらうとは、相手に気に入られようとしてお世辞を言ったり、機嫌を取ったりしてこびることである。自分にとってメリットがある人、自分を可愛がってくれる人、そのように期待する人には必死にへつらうかもしれない。また私たちが貪るのは、自己中心的に物事を考え、決して飽きることのない、ある種病的な欲望を抱き続けることである。これもまた人を喜ばせて生きようとすることからくる弊害だと言っても良い。
私たちは信仰によって神に認められている。そして私たちには神の福音がゆだねられている。福音は人を滅びから救いに導く素晴らしい知らせである。この神からのメッセージを、神は私たちを信頼してくださった。
私たちはもしかしたら虐げられて生きてきたかもしれない。しかし、私たちを守り救ってくださるのは私たちの神である。私たちに永遠のいのちを与えてくださるのも主である。だからこそ、私たちは人を喜ばせるのではなく、神を喜ばせて歩もうではないか!
愛する天のお父様、あなたは私たちを信頼して、良い知らせである御子イエスキリストの福音をゆだねてくださり、ありがとうございます。あなたの福音を信じる人々が起こされますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
