自分の罪を言いあらわすなら
「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、 ひねもす苦しみうめいたので、 わたしの骨はふるび衰えた。 あなたのみ手が昼も夜も、 わたしの上に重かったからである。 わたしの力は、夏のひでりによって かれるように、かれ果てた。〔セラ わたしは自分の罪をあなたに知らせ、 自分の不義を隠さなかった。 わたしは言った、 「わたしのとがを主に告白しよう」と。 その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ」(詩篇 32:3-5)
自分の罪を言い表すとは、自分の罪を認識することから始まる。自分は悪くないと考えているなら、私たちは自分の罪を言い表さない。
詩篇の作者は「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、 ひねもす苦しみうめいたので、 わたしの骨はふるび衰えた。 あなたのみ手が昼も夜も、 わたしの上に重かったからである。 わたしの力は、夏のひでりによって かれるように、かれ果てた。」と言っている。
罪は背負う必要のないものだ。私たちは罪の重荷を脱ぎ去り、捨て去る必要がある。「わたしのとがを主に告白しよう」と言った時、主は私たちの犯した罪をゆるされたとある。
私たちが罪を告白するなら、私たちの罪は赦され、心の重荷は取り去られる。
愛する天のお父様、私の罪を言い表します。どうかお赦しください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。