私たちの汚れをきよめるには?

「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。」(マタイによる福音書‬ ‭15‬:‭11)

ある時、パリサイ人と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、 「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。(‭‭マタイによる福音書‬ ‭15‬:‭1‬-‭2‬)

昔の人々の言い伝えを破ること、伝統を破ること、人間が決めたことを破ることを、パリサイ人と律法学者たちと呼ばれる宗教家たち、指導者たちは問題視した。

しかしイエスは彼らが神の言葉以上に、自分たちの言い伝えを重視したことを問題視した。

そもそも汚れとされることは何かという話である。パリサイ人と律法学者たちにとって、物理的に手を洗わないことが大問題だとされたのだが、イエスは汚れとは物理的な問題ではないと指摘された。不浄とは私たちの体の外側のことではなく、体の内側、つまり内心の問題だと指摘した。

イエスは言われた、「あなたがたも、まだわからないのか。 口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。 しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、 これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。(マタイによる福音書‬ ‭15‬:‭16‬-‭20‬)

私たちの心の汚れはきよめられる必要がある。私たちの心の汚れをきよめるのは、内面の洗浄である。どうやったら内側の汚れを洗い落とすことができるのか?

ヨハネの手紙に、こう書かれている。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(‭‭ヨハネの第一の手紙‬ ‭1‬:‭9‬)

私たちの心の中にある悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、罪であり、これらの罪を神の前に告白し、イエスキリストが私たちの罪のあがないのために十字架にかかって死んでくださったことを信じ、罪の赦しを受け取るなら、すべての不義からきよめられ、神の子どもとなり、永遠のいのちを受け、救われる。

この素晴らしい救いのわざを主なる神に感謝したい。

愛する天のお父様、私たちの罪をきよむ、赦すために御子イエスキリストを私たちのもとに救い主として遣わし、信じる者を救っててくださいます。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。