たとえ話

「イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話された。たとえを使わずには何も話されなかった。それは、預言者を通して語られたことが、成就するためであった。「私は口を開いて、たとえ話を、世界の基が据えられたときから隠されていることを語ろう。」(マタイの福音書 13:34,35)

たとえは、神が隠されたこと、つまり奥義を語るために用いられた。主イエスがご自身の弟子たちだけに、たとえ話の意味を伝えられたのは、神の奥義を知る願いを持つ彼らのためであった。イエスを信じようとしない者には神の奥義は明かされず隠された。

イエスを救い主と信じることは、神が与えられる特権である。救いはイエスによって与えられることは、実は神の奥義である、

福音は無償で提供されるが、決して安売りしている訳ではない。信じる者にとっては永遠の価値ある、いのちみなぎる素晴らしい賜物である。永遠の救いこそ、神が与えてくださる偉大な恩恵だ。

「この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(‭‭コロサイ人への手紙‬ ‭1‬:‭27‬)

神の奥義を知って信じて私たちは救われ、神と共に歩むことで、神の奥義をさらに知り、私たちの信仰は強められ、深められる。

神の真理、神の奥義をさらに知っていきたい。

愛する天のお父様、あなたの素晴らしさをさらに体験する一日としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。