福音を宣べ伝えずにはおられない

「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。」(コリント人への第一の手紙‬ ‭9‬:‭16‬)

福音は良い知らせである。

私たちの生活には良い知らせがたくさんある。合格通知、当選の知らせ、昇進や昇給の知らせ、結婚や生誕、再会や回復なども、みな良い知らせだ。

私たちの永遠のことに関する良い知らせがある。それが聖書でいう福音であり、イエスをキリストとして信じる者には永遠のいのちが約束され、神の子どもとなる特権を得ることができるというものだ。なぜ良い知らせかというと、私たちが神の祝福にあずかる約束であり、神に愛されている知らせであり、この地上に生きる意味を伝える知らせであるからだ。

福音を宣べ伝えることは、私たちが誇るようなことではない。ステージの上で脚光を浴びるにせよ、誰も見ていないところで、誰にも知られずにすることであっても、人の永遠に関する問題であり、神の栄光を帰すことを目的としている。

これは私たちの使命であり、私たちの喜びである。だからパウロは福音を宣べ伝えずにはいられなかった。福音は人々の人生を変えるものだからである。

福音はすべての人に宣べ伝えられるべきものである。神はすべての人を愛しておられ、すべての人に計画を持っておられる。すべての人が救われ、神のもとに来ることを願っておられる。

愛する天のお父様、あなたの御子イエスが私たちの罪のために十字架の上で命を捨て、身代わりとなって死に、三日目によみがえり、信じる私たちを救ってくださり、永遠のいのちを与えてくださったことを感謝します。この良い知らせがすべての人に伝わりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。