キリストの心

「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。」(コリント人への手紙 第一  2:16)

パウロは人間や神のことをこのように述べている。「人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかにいったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。」

人や神のことについて本当に知りたい、よく知りたいと思うなら、私たちはそれぞれの霊についてよく知らなければならない。

私たちの内面は霊的な部分であり、その霊的な部分に神の霊で満たされるのか、あるいは、この世の霊、悪霊に主権を渡すのかで、私たちの霊的状態は大きく変わる。

パウロは続けた。「しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。」(コリント人への手紙 第一  2:11,12)

私たちはイエスキリストを信じることによって、あるいは神の主権ある直接的介入によって神からの霊を受けたので、私たちは神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知ることができる。

神の霊とほぼ同義語なのが、主の心である。主イエスキリストを知るためには、主の心を持つ必要がある。パウロは言った。「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。

私たちがキリストの心を持っているのだから、主イエスキリストを知ることができる。

今日も主を知っていこう。

愛する天のお父様、私たちにキリストの心を与えてくださり、ありがとうございます。キリストをさらに知ることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。