一番最後
「そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。(マルコによる福音書 9:35)
それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。 彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。
そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。
そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。 「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。(マルコによる福音書 9:33-37)
子どもや弱い立場の人たちは、どちらかというと後回しにされ、重要視されず、声を上げることが出来なかったりする。
私たちは一番最後になるのを嫌がるだろう。しかし一番偉い人、上の立場にいる人は、むしろ一番後になり、またみんなに仕える者であることが大切だ。一番後になって一番弱い人を助ける者こそ、良いリーダーになれるのではなかろうか!
愛する天のお父様、一番後になって、人々に仕えてくださった主イエスから今日も学びます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。