人の思いと心を探るイエス様

聖句:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。
2 「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。
4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。
6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。
7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』(黙示録2:1−7)


観察:            「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」という警告がここで書かれています。 御霊は語り続けます。決して黙ってはいません。 ヨハネがこのことを書いた理由は、エペソの教会の中で、御霊に耳を傾けようとしなかった人たちがいたという事実があったのではないでしょうか。今日の教会の中にも、御霊の語ることを聞かない多くの信者がいることは悲しいことです。自分も、御霊の声を聞き逃しています。聖霊に耳を傾けず、聞こうとしないからです。また、聞いていても、自分の聞きたいとだけ聞いてしまっているときもあります。             この手紙はエペソの教会の天使に宛てて書かています。 この言葉は、右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言ったことです。御霊の声を聞くためには、エペソの教会への言葉からこの素晴らしい真理を学ばなければなりません。いつも、人生の中にイエス様の臨在というものを意識していなければなりません。イエス様は、単に私と共に歩んでいるだけではなく、私のうちに生きています。これは、御霊が私に語っていることを知らなければならない大切な真理です。御霊は私の全てをご存知です。このことを認識していなければなりません。 御霊は私がどう時間を使い、どんなところに力をいれ、どんな優先順位をもって生活しているか、全てをご存知です。御霊は私の行いを全て知っています。どんなに一生懸命に働いているか、主のために、倦むことなく耐え忍んでいるのか、何事もあきらめず、疲れることなく、どんなことに忍耐を働かせているかもご存知です。 イエス様は私のことをよくご存知です。御霊は私のすること、また、すべきことをしようとする努力に関しては何も問題とされません。しかし、御霊が私に思い起こさせようとしているのは、何が一番先にくるべきかということです。それは、私のイエス様との関係は全てのものの前にくるものでなければならないということ。イエス様は、「しかし、あなたには非難すべきことがある。 あなたは初めの愛から離れてしまった。」と言っておられます。私がしなければいけないどんな良いことも、イエス様への私の愛にとって変えられるものはありません。 私のすること全てがイエス様への愛から湧き出てくるものではなければなりません。人がイエス様への愛をなくしてしまうのは難しいことではありません。人が互いに恋に落ちる時、彼らは相手が喜びそうなことをしてあげようと頑張ります。イエス様は、エペソの教会に対して、私に何かをする前に、あなたの心がきっちっと私を向いているかどうかが大切であると言われています。自分が失ってしまった愛や情熱を取り戻すための解決方法をイエス様は私に与えてくれています。1.     あなたがどこまで落ちてしまったかを熟慮しなさい。私も自分の行いが形だけのものになってしまっている時があることを認めざるをえません。自分がイエス様との歩みの中にある喜びを失ってしまっていることを認めなければなりません。熟慮ということは何かを注意深く考えることです。それはイエス様との関係をちゃんと見直すことです。クリスチャンとしての喜びが薄れていってしまうとき、私は自分の優柔不断さについて考えてしまいます。2.     自分を正すために行動を起こす「 あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」 私たちには選択がありますが、神様も選ぶことができるのです。3.     御霊に聞くことをイエス様との関係において恒久的なものにすること。御霊に聞くことが、自分のお気に入りの牧師や聖書を教える教師よりも優先されなければなりません。私の責任は聖霊に聞くことであり、他の人が神様のみことばを語るのを待つのではなく、聖霊に導かれることです。人が神様のみことばを語る時、それは、聖霊がすでに語ってくれていることの確認です。4.     イエス様への愛からくる喜びを盗もうとする全てとものにうち勝つ者となりなさい。妥協したり、被害者意識を持ってはいけません。勝利者を目指すべきです。全てのチャレンジを私たちは乗り越えていくことができます。 私のイエス様への愛を捨てさせるものに思いを巡らすとき、キリストへの愛を捨てさせようとするものに打ち勝つために全てのエネルギーを注ぎます。
適用:            自分の進む道を正すべく、私は御霊の語られることにもっと耳を傾ける人になりたいと思います。イエス様のために私がすることによってイエス様を愛そうとするのではなく、イエス様が自分の人生においてどんな方であるかの知識をもってイエス様を愛したいと思います。イエス様に仕えれば仕えるだけ、イエス様を愛していることの証となるような誤った考えは持ちたくありません。イエス様を愛したいから、イエス様に仕えることができるのだという思いを持ちたいです。自分がイエス様に何をしたいかではなく、イエス様がどんなお方であるかに対して、心からイエス様を愛していきたいのです。  
祈り:            イエス様、あなたが私に願われていると勝手に思ってしまっている多くのことに没頭していることに罪悪感を感じます。あなたを喜ばせることをたくさんするのではなく、もっとあなたを愛し、あなたとの関係を楽しんでいけるよう私を助けてください。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、あなたを愛するとき、それが最もあなたが喜ばれることであることを私は知っています。あなたの御霊が語られることを聞く耳を私に与えてください。あなたを愛するために自分が変わらなければならない必要があるのであれば、自分を変えていくことができるよう私を助けてください。あなたのみ名によって祈ります。アーメン!