終わりの日の恵み

「もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。」

(‭‭マルコによる福音書‬ ‭13‬:‭20)

患難の期間の話である。主なる神の恵みと憐れみにより主が患難の期間を縮めてくださるとご自身が言われた。救われる者が出るため、また選ばれた選民のための配慮のためである。

患難は、「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つ」ことから始まる。原文のギリシャ語には、預言者ダニエルによって語られたとあるので、ダニエル書を見てみよう。

「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(ダニエル書 9:27)「彼の軍隊は立ち上がり、砦である聖所を冒し、常供のささげ物を取り払い、荒らす忌まわしいものを据える。」(ダニエル書 11:31)

ティンデル注解書によると、忌まわしいものとは、神への捧げ物に置き換えた忌まわしき捧げ物、具体的にはユダヤ人の食事規定に抵触した「豚のいけにえ」となっている。

荒らす憎むべきものが、偶像を指すのなら、異教徒たちがエルサレムの神殿に立つことを意味しているのだろう。確かに西暦70年にエルサレムはローマ軍によって陥落した。

この出来事について主イエスはユダヤ人たちに「そのときユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 この事が冬おこらぬように祈れ。 」と言われた。

その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。 

西暦70年のユダヤ戦争の結末だけではなく、イエスは終わりの日を示唆して以下のように続けている。

「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。 」

「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。」(マルコによる福音書‬ ‭13‬:‭14‬-‭27‬)

主は私たちに予め起こることを告げてくださった。それは私たちが気をつけて歩むためである。

終わりの日には主の恵みが溢れることに目を向けたい。患難と共に主の恵みがある。

愛する天のお父様、あなたの恵みを感謝します。患難の中にもあなたの恵みが溢れています。主イエスキリストの御名によって、アーメン。