聖霊によるバプテスマ

「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」(マルコの福音書 1:8)

ヨハネが水でバプテスマを授けたのは、悔い改めのバプテスマと呼ばれ、人々の罪を洗い流すことを象徴し、ヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けられた。バプテスマという言葉には「覆う」という意味がある。水は汚れをきよめるための物質であるが、水による洗浄には、衛生的意味、儀式的意味、霊的意味がある。

民数記19章で祭司たちが雌牛を屠り、血を取って七度振りかけ、祭壇の上で焼いた後に「祭司は、その衣服を洗い、そのからだに水を浴びよ。その後、宿営に入ることができる。しかしその祭司は夕方まで汚れる。」(19:7)と命じられていたのは、衛生的と儀式的理由からである。

ヨハネが水のバプテスマを行っていたのは、水の中に浸ること、全身を水に浸すことで、罪を洗い流す「きよめ」の儀式であった。

ではどのような霊的意味を持っているのか?ヘブル人への手紙10章22節では、「・・・私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」とある。また「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Ⅰ ヨハ 1:7 )とある。

イエスキリストが私たちに聖霊によってバプテスマをお授けになるとは、聖霊の働きによって私たちは霊的なきよめである、御子イエスの血による、邪悪な良心など、すべての罪からのきよめを受けることということだ。

私たちはイエスキリストのあがないにより、罪からきよめられ、救われ、光の中を歩むようになる。心で信じて救われ、私たちは聖霊に覆われて歩むことができるようになる。

聖霊の働きによって救われることができたことを感謝したい。

愛する天のお父様、あなたの救いを感謝します。聖霊の働きにより私たちは救われ、罪からきよめられました。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。