恵みと祈り
「わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。」(ゼカリヤ書 12:10)
神はダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐと言われた。
恵みは私たちが受けるに値しない良いものである。神は私たちに想像を超える素晴らしいものを用意してくださる。
祈りは私たちが神とコミュニケーションを取るチャンネルの一つ。私たちから神にお願いしたり、神が語られることを私たちが聞くために大切なことである。
主なる神はエルサレムの住民が神の恵みをたくさん受け、神に祈ることができるようにしてくださった。
エルサレムの住民が、「その刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。」とは、その数年後イエスが十字架の上で命をささげ、死なれたことを表しているのではなかろうか?
イエスの十字架はエルサレムの住民だけではなく、世界中の人々に永遠のいのちという恵みを与えた。イエスの十字架を信じて歩む者たちには、神は恵みと祈りという素晴らしい祝福を与えてくださる。
主が私たちに命をささげてくださり、恵みに満ちあふれさせてくださったことを感謝し祈って歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの愛と恵みを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。