背くのではなく従う者に
「主よ、顧みてください、 わたしは悩み、わがはらわたはわきかえり、 わが心臓はわたしの内に転倒しています。 わたしは、はなはだしくそむいたからです。 外にはつるぎがあって、わが子を奪い、 家の内には死のようなものがある。 わたしがどんなに嘆くかを聞いてください。 わたしを慰める者はひとりもなく、 敵はみなわたしの悩みを聞いて、 あなたがこれをなされたのを喜んだ。 あなたがさきに告げ知らせたその日をきたらせ、 彼らをも、わたしのようにしてください。 彼らの悪をことごとくあなたの前にあらわし、 さきにわがもろもろのとがのために、 わたしに行われたように、彼らにも行ってください。 わが嘆きは多く、わが心は弱りはてているからです」。」(哀歌 1:20-22)
哀歌は、エレミヤが嘆き悲しんだ歌であり、内容を見ても、エレミヤが主に向かって自分の悩みを吐露しているのがわかる。
エレミヤは「主よ、顧みてください」と言って、エルサレムが置かれていた状況に「目を向け」て欲しいと願った。
嘆かわしい状況とは、敵がエルサレムの町を廃墟としたため、「わたしは悩み、わがはらわたはわきかえり、 わが心臓はわたしの内に転倒しています。」と気持ちを吐露した。
「わたしは、はなはだしくそむいたからです」とは、エルサレムつまりイスラエルの民のことを言っているのだろう。背きが招いたのは、「 外にはつるぎがあって、わが子を奪い、 家の内には死のようなものがある。 わたしがどんなに嘆くかを聞いてください。 わたしを慰める者はひとりもなく、 敵はみなわたしの悩みを聞いて、 あなたがこれをなされたのを喜んだ。 」主に背いた結果、悲しく嘆かわしい状況に陥った。それを許し、行ったのは主である。主は公義なるお方であり、イスラエルの民を愛しておられるからである。
イスラエルにも非があったが、彼らの敵にも非があった。「あなたがさきに告げ知らせたその日をきたらせ、 彼らをも、わたしのようにしてください。 彼らの悪をことごとくあなたの前にあらわし、 さきにわがもろもろのとがのために、 わたしに行われたように、彼らにも行ってください。 わが嘆きは多く、わが心は弱りはてているからです。」
背きがもたらすものは、嘆きと悲しみである。しかし従順がもたらすものは、喜びと平安、祝福といのちである。
主に従う者でありたい。
愛する天のお父様、あなたに従う者となります。主イエスキリストの御名によって、アーメン。