自分の霊ではなく主の霊に従う

「あなたがたは少しばかりの大麦のため、少しばかりのパンのために、わが民のうちに、わたしを汚し、かの偽りを聞きいれるわが民に偽りを述べて、死んではならない者を死なせ、生きていてはならない者を生かす。」(‭‭エゼキエル書‬ ‭13‬:‭19)

主はエゼキエルに言われた。「なにも見ないで、自分の霊に従う愚かな預言者たちはわざわいだ。 イスラエルよ、あなたの預言者たちは、荒れ跡にいるきつねのようだ。 あなたがたは主の日に戦いに立つため、破れ口にのぼらず、またイスラエルの家のために石がきを築こうともしない。 彼らは虚偽を言い、偽りを占った。彼らは主が彼らをつかわさないのに『主が言われる』と言い、なおその言葉の成就することを期待する。」(‭‭エゼキエル書‬ ‭13‬:‭3‬-‭6‬)

主の霊に従わず、自分の霊に従う預言は、主の名によって自分本位のことを語るものであるため、偽りを述べることで人々を欺いては惑わし、主の聖なる御名を汚し、死んではならない者を死なせ、生きていてはならない者を生かすことが起こる。

私たちが持って生まれた利己主義的な性質は、少しばかりの大麦のため、少しばかりのパンのために、人々を欺き、滅ぼしなどの害を与え、さらには主を汚すことになる。自分の「利益」のために他人を利用し、搾取し、また滅ぼすなど恐ろしいことである。

私たちは、自分の霊ではなく、主の霊に従うべきである。自分の霊は自己中心であり、あるいは傷ついている部分がある。自分の霊が傷ついたまま神の真理を語ることは難しい。だから、もし自分が語る者、人々に神の言葉を話す立場にいるなら、頼り甲斐のない自分の霊に癒しを受け、主の霊に決して自分の霊に従って語る訓練が必要だ。主の言葉を語る立場や機会を私利私欲のために用いることのないようによくよく注意したい。

愛する天のお父様、自分の傷ついた霊を癒してください。恐れや恥を拭い去り、あなたの平安と喜び、愛で包んでください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。