主の導き
「時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。」(ヨナ書 1:4)
主が大風を海の上に起されたのは何故か?それはヨナがニネベに行かず、タルシシへのがれようと船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシ行きの船に乗ったからである。(ヨナ書 1:1-3)
ヨナはニネベに行けという神の命令に従わず、主の前から離れ、タルシシに行こうとした。その結果、主は大風を海の上に起こされたので、船が破れるほどであった。
人々は互いに言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。
ヨナは彼らに言った。「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたがたに臨んだのは、わたしのせいです」。 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。」(ヨナ書 1:7, 12, 15-16)
主の命令に従わない場合に起こる、とてもわかりやすい結果である。
ヨナがニネベに行きたがらない理由はニネベがチグリス川北部にある凶暴なアッシリア人の都市だったからである。ニネベの町があった場所の対岸には、現在モスルという過激派組織「イスラム国」がつい最近まで本拠地としていた都市がある
残忍さで知られた町に行くとなると私自身もおそらく躊躇するだろう。しかし、主が行けと言われるのなら行くしかない。逮捕され、投獄され、死に至るかどうかはわからない。しかし仮に命を落とすことになったとしても、自分が福音を宣べ伝えたことで福音の実が結ばれるのなら、福音を宣べ伝える価値は十分ある。
海の中に投げ込まれ、大きな魚に飲まれたヨナは心を入れ替えて、ニネべに行き、罪の悔い改めを呼びかけると、多くの人々が自分の罪を悔い改め、主の元に来た。
自分の命を失うことになるかもしれないリスクは、私たちは極力避ける。リスクを知って行動する人はさらに大きな批判の的となる。主に従う道が最善である。主に従う者となりたい。
愛する天のお父様、あなたの導きに喜んで従う者としてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。