唆されるな
「アハブのように主の目の前に悪を行うことに身をゆだねた者はなかった。その妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。」(列王紀上 21:25)
アハブ王が主の目の前に悪を行うことに身をゆだねた背後には妻イゼベルによる唆し(そそのかし)があった。
唆し(そそのかし)とは、その気になるように仕向けること。特に、おだてて悪いほうへ誘い入れることである。
エズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、 アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。しかし ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。(21:1-3)
アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。 妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。 (21:4, 7)
彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印をおして、ナボテと同じように、その町に住んでいる長老たちと身分の尊い人々に、その手紙を送った。 彼女はその手紙に書きしるした、「断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせ、 またふたりのよこしまな者を彼の前にすわらせ、そして彼を訴えて、『あなたは神と王とをのろった』と言わせなさい。こうして彼を引き出し、石で撃ち殺しなさい」。 (21:8-10)
その町の人々、すなわち、その町に住んでいる長老たちおよび身分の尊い人々は、イゼベルが言いつかわしたようにした。彼女が彼らに送った手紙に書きしるされていたように、 彼らは断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせた。 そしてふたりのよこしまな者がはいってきて、その前にすわり、そのよこしまな者たちが民の前でナボテを訴えて、「ナボテは神と王とをのろった」と言った。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石で撃ち殺した。(21:11-13)
「そのとき、主の言葉がテシベびとエリヤに臨んだ、 「立って、下って行き、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いなさい。彼はナボテのぶどう畑を取ろうとしてそこへ下っている。 あなたは彼に言わなければならない、『主はこう仰せられる、あなたは殺したのか、また取ったのか』と。また彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、犬がナボテの血をなめた場所で、犬があなたの血をなめるであろう』」。(21:17-19)
イゼベルについて、主はまた言われました、『犬がエズレルの地域でイゼベルを食うであろう』と。 アハブに属する者は、町で死ぬ者を犬が食い、野で死ぬ者を空の鳥が食うでしょう」。 アハブはこれらの言葉を聞いた時、衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩いた。 (21:23-24)
この時、主の言葉がテシベびとエリヤに臨んだ、 「アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう。」(21:27-29)
良い事をしても悪事を働いても、主は見ておられる。そして災いを下されるが、私たちが謙ることで災いを考え直すこともできる方である。
アハブはこの場面で主の憐れみを受けたが、妻イゼベルは受けなかった。これも主の計らいであり、主が決められたことである。
神は憐れみ深い方であるが、悪事を働くと主も社会も喜ばれず、その刈り取りもしないといけない。もし罪の報いが臨まなかったとしたら、それは神の憐れみとしか言い様がない。
愛する天のお父様、悪事に対して断固とした態度を取る勇気をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。