友
「友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生れる。」(箴言 17:17)
友は私たちにとってかけがえのない存在だ。どんな時にも愛する存在ほど素晴らしい存在はない。
イエスは言われた。「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。」(ルカによる福音書 11:5-8)
正直面倒くさい頼み事だと思っても、友ならなんとかしてくれる。だからといって境界線を越えて何でもかんでも頼み事をするなら頼まれた方は辟易としてしまうだろう。
骨の折れることなら未だしも、色々と言いふらして回る相手に対して人々は警戒心を抱く。「愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。」(箴言 17:9)「偽る者は争いを起し、つげ口する者は親しい友を離れさせる。」(箴言 16:28)「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。」(箴言 18:8)
私たちには頼もしい友が必要だし、また私も人々の友となりたい。「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(箴言 18:24)
友として人の悩みをじっくり聞く訓練をしたい。
愛する天のお父様、あなたは私たちの悩みを知っておられ、私たちの声を聞き続け、さらには私たちに必要なアドバイスを与えてくださいます。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。