赦しとあわれみ

「彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、-人は罪を犯さない者はないのです、-あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、敵の地に引いて行く時、 もし彼らが捕われていった地で、みずから省みて悔い、自分を捕えていった者の地で、あなたに願い、『われわれは罪を犯しました、そむいて悪を行いました』と言い、 自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てた宮の方に向かって、あなたに祈るならば、 あなたのすみかである天で、彼らの祈と願いを聞いて、彼らを助け、 あなたの民が、あなたに対して犯した罪と、あなたに対して行ったすべてのあやまちをゆるし、彼らを捕えていった者の前で、彼らにあわれみを得させ、その人々が彼らをあわれむようにしてください。」(‭‭列王記上‬ ‭8‬:‭46‬-‭50‬)

私たちは皆罪を犯す。「人は罪を犯さない者はないのです」とソロモンが主なる神の前に祈った通りである。

罪には結果がつく。罪の報いとして神が罪に対して怒られる結果、罪を犯した人たちを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず敵の地に引いて行かれる。イスラエルの民がそうであった。

しかし主なる神は私たちに対して憐れみ深い。だから、私たちがみずから省みて悔い、自分を捕えていった者の地で、主に願い、『われわれは罪を犯しました、そむいて悪を行いました』と言い、 自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、精神をつくして主に立ち返り、主に祈ることが大切だ。

そうするなら、主のすみかである天で私たちの祈りと願いを聞いて助け、私たちが主に対して犯した罪と主に対して行ったすべてのあやまちをゆるし、私たちを捕えていった者の前で私たちにあわれみを得させ、その人々が私たちあわれむようにしてくださる。

ソロモンが悔い改めの大切さを祈り、主の憐れみを告白したように私たちも主の前に悔い改め、主の憐れみを請い、歩んでいきたい。

愛する天のお父様、あなたの憐れみを感謝します。私たちを憐れんでください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。