静かに働き自分で得たパンを食べよ

「人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。 こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。」(テサロニケ人への第二の手紙‬ ‭3‬:‭8‬, ‭10‬-‭12‬)

人からパンをもらって食べること自体は悪いことではない。しかし、私たちが怠惰な生活を送り、働かずに、ただいたずらに動きまわっているのなら、問題である。

パウロは誰にも負担をかけまいと、日夜労苦し努力して働き続けたという。パウロが私たちに推奨する姿とは、労苦し、努力して働く姿である。

何を一生懸命やるかは一人一人与えられた課題があり、他人とは違うものである。それに全身全霊を注いで取り組むことである。

神のために一生懸命働くことについて評価するのは神ご自身であり、また私たちも自分自身でどこまでやるのか決めることである。

自分自身悔いのないように生きる、とはきっと私たちは耳に胼胝ができるほど聞かされてきた言葉であろう。「働かざる者食うべからず」も同じだ。ただ毎日精一杯生き、神の前に自分の精一杯の努力を良しとしたい。

他人への評価は絶対的ではなく、多少なりとも正確さに欠けるものだ。他人のことをさばく前に、自分の襟元を正したい。

愛する天のお父様、私に出来ることはたくさんあります。自分で働けるうちは精一杯働き、自分でパンを得られるうちは自分でパンを得、他人に惜しみなく分け与え、自分の力の限界に達したら他人のお世話になることが出来ますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。