主は私の犯した罪をゆるされた

「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。」(‭‭詩篇‬ ‭32‬:‭1‬)

とが(咎)とは、他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、けしからぬ行いである。誰にも咎がある。その咎が赦される人は幸いである。

また私たちには神に従わずら神を信じない罪がある。すべての人が該当するだろう。その罪をおおい消される者はさいわいである。

また主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。 

詩篇の作者は言った。「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。 あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。」

この作者は続けている。「わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。」(‭‭詩篇‬ ‭32‬:‭1‬-‭5‬)

罪や咎を赦し、覆い消すことは神にしか出来ない。私たちは他人を赦せなくて苦しむ。しかし神の前に私たち自身の咎や罪が赦されていることを思い出さなければならない。

ああ、なんと憐れみ深い神だろうか。神に感謝したい。

愛する天のお父様、あなたの罪の赦しを感謝します。私たちがあなたの前に自分のすべての罪や咎、不義を言い表します。あなたは私たちを赦してくださいました。主イエスキリストの御名によって、アーメン。