招かれた罪人
「イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マタイの福音書 9:10-13)
病人が医者を必要とするように、罪人は救い主を必要とする。
罪人は「つみびと」と読み、「ざいにん」ではない。ざいにんは人間が定めた法を破った人々で処罰される人たちだが、つみびとは神が定められたことを破り、永遠の処罰を受ける人々を指す。ざいにんは一部の人たちが該当する一方で、つみびとは人類全員が該当する。つまり私たちは皆、救い主を必要としている。
さてパリサイ派の人たちは宗教に熱心で自分たちはざいにんではないと自負していたため、イエスと一緒に親しく食事をする取税人たちや罪人たちを見て、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。宗教家たちが取税人たちや罪人たちを見下している様子がわかる。
私たちは身体が健康な時は医者を必要としない。しかし怪我すれば外科に行くし、内臓系の具合ご悪いと内科に行き、精神的に辛いと精神科や心療内科に行く。
同じように私たちが霊的に不調になると救い主のもとに行く必要がある。私たちは本来神とつながっている存在だが、神を信じない罪を犯し、神を自分の人生から追い出してしまっていた。
しかし主イエスは私たちを救いへと招いてくださっている。私たちが自分自身の罪を告白し、悔い改め、救い主として受け入れ、神の子どもとなるように招いてくださっている。もし私たちが神を心に受け入れるなら、霊的健全さを取り戻すことができる。
愛する天のお父様、あなたは病人、罪人、疎外感を味わっている人、貧しい人、無力の人たちをあなたのもとに招いてくださっています。あなたは救い主です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。