神の計画

「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならない。 またあなたがたはその地の民を追い払って、そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである。 あなたがたは、おのおの氏族ごとにくじを引き、その地を分けて嗣業としなければならない。大きい部族には多くの嗣業を与え、小さい部族には少しの嗣業を与えなければならない。そのくじの当った所がその所有となるであろう。あなたがたは父祖の部族にしたがって、それを継がなければならない。 しかし、その地の住民をあなたがたの前から追い払わないならば、その残して置いた者はあなたがたの目にとげとなり、あなたがたの脇にいばらとなり、あなたがたの住む国において、あなたがたを悩ますであろう。」(民数記‬ ‭33‬:‭51‬-‭55‬)

神の計画を考える時、人間の計画や人間的考え、または私情を挟んではならない。神が主権を持ってなさろうとすることをなさるからである。

イスラエルの民がカナンの地に入ったとき、カナンの住民を追い払うように命じた。それはカナンは神がイスラエルの民の所有の地として与えられた土地だったからである。天地を創造し統治されておられる方の前に、誰も何も言うことはできない。

イスラエルの民が先住民を追い払った時、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならないと命じられた。それはカナンの人々が偶像礼拝して神が忌み嫌うことをしていたからである。

今日のイスラエルとパレスチナの問題を考える時、イスラエルがパレスチナの「先住民」を追い出して、非人道的な扱いをしているという報道を目にする。しかし、現イスラエルの領土はそもそも誰のものか、誰に与えられた土地なのか、神がどう見ているのかについて考えなければならない。つまり、正当性はどこにあるのかということだ。

また偶像礼拝についてすべての人が自らと神との関係において考えなければならない点である。私たちは神以外のモノをカミのように扱い、心を占めていないかチェックが必要だ。

また、イスラエルの民が、おのおの氏族ごとにくじを引き、その地を分けて嗣業とし、大きい部族には多くの嗣業、小さい部族には少しの嗣業を与えられたのは神の計らいであった。どの土地を所有するかは、くじの当った所であった。そのくじさえも、神の主権の中で決められたことであることを見逃してはならない。

私たちの人生は神の計画の中にある。神に対して反抗することは、すべてをリスクに晒すことになる。なぜならわざわいが自分たちの身の上に降りかからないのは、単なるラッキーなことではなく、神の忍耐と憐れみの賜物であることが多いからだ。

私たちは傲慢にも神のなさることにモノを申したり、抗うことが身の破滅を招くのは聖書が伝える通りである。

神の御手に自分たちの人生を委ねて歩んでいきたい。

愛する天のお父様、私たちはあなたの祝福を受けて生きている者です。あなたに信頼して生きていきます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。