この町にはわたしの民が大ぜいいる

「すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。 あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。」(‭‭使徒行伝‬ ‭18‬:‭9‬-‭10‬)

パウロは安息日ごとにコリントにある会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。(‭‭使徒行伝‬ ‭18‬:‭4‬)

しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。 会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。

すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。 あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言を彼らの間に教えつづけた。‭‭(使徒行伝‬ ‭18‬:‭6‬-‭11‬)

私たちがイエスキリストの福音を宣べ伝える時に、その町には神の民が大勢いると意識することができる。そして私たちが腰を据えて福音を宣べ伝えることも大切だということだ。その期間は1年半、もしくは40年と長期間かもしれないが、自分と教会の健全性を考えて引き際には潔く退く覚悟も必要だ。

今置かれているところ、私たちが伝道する町には神の民が大勢いると信じ福音の宣べ伝えたい。主が救いを起こされるのだから、自分の使命である福音宣教を続けていきたい。

愛する天のお父様、あなたの民が、どこの町にも大勢います。何人か何十人か、あるいは何百人といるかもしれません。私たちはあなたの福音を宣べ伝えますから導いてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。