負いきれなかったくびき

「しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。」(‭‭使徒行伝‬ ‭15‬:‭10‬-‭11‬)

自分自身で出来ないことを他人に強要するのは御門違いであるが、自分自身を振り返ると、自分で出来ていないことを他人に期待したり、あるいは要求してしまったりしているかもしれない。

旧約聖書のレビ記に記されているモーセの律法では、神から私たちに対する様々な要求が紹介されている。神は完全なお方であるので、神サイドには全く問題はないが、私たちサイドに問題がある。それは私たちが誰一人として律法を全うした者はいないということだ。「律法は、何事をも全うし得なかった」(‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭7‬:‭19‬)とある通りである。

神は律法を私たちの養育係として与えられたが、救われるためには行いではなく信仰が必要である。つまり心で神を喜ばせることが大切であり、行いでは出来ない。

他人に自分でも負いきれないくびきを負わすことのないようにしたい。

愛する天のお父様、あなたは恵みのゆえに信仰によって私たちを救ってくださいました。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。