神がきよめたものを清くないなどと言えない

「すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。」(‭‭使徒行伝‬ ‭10‬:‭15‬)

ヨッパにいたペテロは空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。 「すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。」(使徒行伝‬ ‭10‬:‭11-‭15‬)

イスラエルの民が守り続けてきたモーセの律法の中には食事規定があり(レビ記11章)、ペテロが幻の中で見た地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものは、主がかつて忌むべきものだから食べてはならないと命じられたものだった。主がきよいものと汚れたとされたのは、イスラエルの民を周辺諸国と区別するためであり、この食事制限はイスラエル人以外には適用されないものであった。

しかし、イエス様は十字架の死を通して、食事制限に関する律法も含め、旧約の律法の全てを達成された(ローマ10:15, ガラテヤ3:24-26、エペソ2:15)。

イエスの贖いにより、私たちは律法に囚われることがなく、主の栄光を表すために何を食べても良いとされた。

だから、神が直接きよめたものを、清くないなどと言ってはならないと言われたのだ。

神は私たちに御子イエスキリストによる新しい契約を与えてくださった。イスラエルの民に与えられたモーセの律法ではなく、世界中誰でもイエスを救い主と信じる者には律法に束縛されない自由と同時に、神の栄光を表す使命が与えられた。

ペテロが食事規定で食べなかったものを神が食べなさいと言われ、それによって異邦人に福音を宣べ伝えるようにされたのだから、律法を私たちの養育係とし、神の恵みに感謝して歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの罪をすべて赦し、不義からきよめてくださいました。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。