祭司という仕事

「あなたは任職の雄羊を取り、聖なる場所でその肉を煮なければならない。 アロンとその子たちは会見の幕屋の入口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンとを食べなければならない。 彼らを職に任じ、聖別するため、あがないに用いたこれらのものを、彼らは食べなければならない。他の人はこれを食べてはならない。これは聖なる物だからである。」(出エジプト記‬ ‭29‬:‭31‬-‭33‬ 口語訳‬)

アロンとその子らは主が定められた通りに祭司の務めをしなくてはならなかった。

会見の幕屋の入口で、水で洗い清め、下服とエポデに属する上服と、エポデと胸当とをアロンに着せ、エポデの帯を締め、頭には帽子をかぶり、その上にかの聖なる冠をいただかせ、 注ぎ油を頭にかけた。(出エジプト記‬ ‭29‬:‭4‬-‭9‬)

同じ会見の幕屋の入口で、主の前にその雄牛をほふり、 その雄牛の血を取り、指をもって、これを祭壇の角につけ、その残りの血を祭壇の基に注ぎかけた、雄牛の内臓をおおうすべての脂肪と肝臓の小葉と、二つの腎臓と、その上の脂肪を祭壇の上で焼き、雄羊の血を取って、アロンとその子たちの右の耳たぶとにつけ、また彼らの右の手の親指と、右の足の親指とにつけ、その残りの血を祭壇の四つの側面に注いだ。

祭壇の上の血および注ぎ油を取って、アロンとその衣服、およびその子たちと、その子たちの衣服とに注ぎ、彼とその衣服、およびその子らと、その衣服を聖別した。(出エジプト記‬ ‭29‬:‭11‬-‭13‬, ‭20‬-‭21‬)

さらにアロンとその子らは会見の天幕の入り口で、他の誰も食べることの出来ない、煮た雄羊とパンを食べなければならなかった。

実は肉とパンを食べられること自体が自然的な祝福ではないか。現在では違うがかつての一般庶民の感覚から簡単に手の届く代物ではない。祭司たちは自分の土地を所有することができなかった分、神からこのような物質的祝福も与えられ、神の配慮とやさしさを感じる。主の定めとはいえ、祭司の仕事にもさまざまなチャレンジが付随したことだろう。そんな働きに対しても主はきちんと配慮を与えられる。

会見の天幕で仕えるのも、神殿で仕えるのも、また教会で仕えるのも苦労や祝福がある。教会でフルタイムで働かなくても、社会で仕事し、苦労や喜びを得ながら生きることにおいても多くの祝福が与えられている。

私たちは自分が置かれたところで、主の祝福を感謝して歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの導きを感謝します。どこで仕えるにしても、喜びまた感謝する心を忘れませんように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。