聖霊に満たされて
「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。」(使徒行伝 2:4-6)
使徒2章の中にこんなシーンが描かれている。クリスチャンたちがエルサレムに集まっていたところに「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。」(使徒行伝 2:2-3) そして、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒行伝 2:4)
クリスチャンが集まると神の霊、聖霊が働いてくださる。「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書 18:20)とイエスが約束してくださったが、三位一体の神である聖霊が共にいて働いてくださる。
聖霊は激しい風が吹くように、あるいは静かに働く。私たちが聖霊に満たされると御霊が語らせるままに色々の他国の言葉で語ることが起こるが、これを異言と呼ぶ。異言は不思議な言葉だが、聖書の時代にもあり、今の時代にもある。時に秩序が保てないで働くため警戒心からか、それを無いと断定するのは些か行き過ぎた解釈だろう。私たちが自分たちの手で聖霊の働きを制止することにも過ちとなってしまう。
預言者ヨエルはこう言った。『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』(使徒行伝 2:17-21)
私たちの母国語であれ、異言あるいは預言であれ、あるいは幻や夢の中で、私たちが主の御名を呼び求める時、私たちは救われる。聖霊は働いてくださる。
主の御名を呼び、聖霊に満たされ、神の働きが存分になされるように自分も歩みたい。
愛する天のお父様、私を聖霊で満たしてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。