アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主

「神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。」(‭‭出エジプト記‬ ‭3‬:‭15‬)

名は体を表すという言葉が日本語にある。人や物の名は、その実体や性質を表すのであるが、「主」という名の神が聖書の神である。さらに補足すると、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であり、イスラエルの民の先祖の神である。他に神がいるかと言えば他にはいない。他のモノを神とするのは人間が造ったカミである、それは偶像であり、私たちに対して何もすることができない。聖書が言う神は天地を創造されたお方、今も生きておられる真実の神である。私たちを愛し、私たちを守り、そして私たちの内に働かれるお方である。

神はモーセに現れた時、モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。 

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。」(‭‭出エジプト記‬ ‭3‬:‭13‬-‭15‬)

聖書の神は「わたしは有る」という方であるが、主という永遠の名、呼び名で呼ばれると言われた。だから私たちも神のことを「主」と呼ぶのである。

私たちの主は救いの神である。今日も主を愛し、主に従っていきたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの神、主である。あなたの愛を感謝します。私たちもあなたを愛します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。