もし絶望の淵に立たされたら

「父はこれを見さだめて言った、「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」。 そこでヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間その子のために嘆いた。 子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。こうして父は彼のために泣いた。 さて、かのミデアンびとらはエジプトでパロの役人、侍衛長ポテパルにヨセフを売った。」(創世記‬ ‭37‬:‭33‬-‭36‬)

ヤコブはかつて父イサクから、「もろもろの民はあなたに仕え、 もろもろの国はあなたに身をかがめる。 あなたは兄弟たちの主となり、 あなたの母の子らは、 あなたに身をかがめるであろう。 あなたをのろう者はのろわれ、 あなたを祝福する者は祝福される」。」(‭‭創世記‬ ‭27‬:‭29‬)と祝福を受け、またベテルでは主から「…わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。」(創世記‬ ‭28‬:‭13‬-‭15‬)と祝福を受ける約束を得ていた。

しかし現実は、最愛の妻から生まれた長子ヨセフが失われたのではないかと思われる悪いニュースが届いた。絶望視したヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間ヨセフのために嘆いた。 他の子どもたちは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、「いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」。実際ヨセフはエジプトに売られて生きていたのだが、長年の間ヤコブはヨセフの兄たちに騙されて、悪い報告を真実だと思って生きてきた。父からの祝福を受け、主からの祝福を受け、自分の子孫がちりのように多く与えられると言われたのに、現実は最愛の子を失ってしまったのではないかと思われる悲しい知らせが来て、偽りだとは知らずに信じて生きている。深い悲しみの中にいたヤコブは何を考えて生きていたのだろうか?

一つは真実を見極め、希望を告白することである。希望を心を生かし、体を生かすことにつながるからだ。

そして愛する人を失った時、自分の悲しみをごまかさず悲しむことが大切だと言われる。悲しみの作業を経ることで早期回復につながる。私たちは死と隣り合わせで生きているから、誰でも悲しみの中に突如として投げ込まれ、その現実を受け入れるのにかなり長い時間を要することが多いようだ。

主の憐れみと天での再会する希望を告白していきたい。

愛する天のお父様、あなたは御子イエスキリストを信じる者たちに永遠のいのち、永遠の住まいを与えてくださると言われました。あなたに希望をおきます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。