神の祝福と守り

「彼女らに言った、「わたしがあなたがたの父の顔を見るのに、わたしに対して以前のようではない。しかし、わたしの父の神はわたしと共におられる。 あなたがたが知っているように、わたしは力のかぎり、あなたがたの父に仕えてきた。 しかし、あなたがたの父はわたしを欺いて、十度もわたしの報酬を変えた。けれども神は彼がわたしに害を加えることをお許しにならなかった。」‭‭(創世記‬ ‭31‬:‭5‬-‭7‬)

ヤコブの義理の兄であるラバンは、ヤコブが自分の下で仕える立場であることを良いことに20年間十度も報酬を変えるなどしてヤコブの財産を搾取してきた。

しかしヤコブ自身が妻に話している通り、神はヤコブを守り、ラバンが彼に害を加えることを許されなかった。

ヤコブは言った。「わたしがあなたがたの父の顔を見るのに、わたしに対して以前のようではない。」状況を考えるとヤコブの表情にも何か煮え切らない思いからくる固さがあったのかもしれないが、ラバンの態度の変化の背景には、自分かヤコブに対して不当に扱ってきたことに対する後ろめたさや、あるいは鼻から義理の弟で、社会的に非力であったヤコブを見下したり支配しようとする気持ちもあったり、あるいはヤコブの人生が神の祝福に守られていることに対する強い嫉妬心に抱いていたのかもしれない。

いずれにせよヤコブはラバンに搾取されたが、主がヤコブに害が加わるのを許されなかったと主の守りを告白し、また「わたしの父の神はわたしと共におられる。」と告白している。自らかつて兄を煮物で騙して長子の権利を奪い、ラバンの下に来ては搾取された苦々しい経験を持ちつつも、神が自分と共にいてくださったことを知り、また自分の信仰としている。

私たちにもヤコブと似た体験をしている人がいるかもしれない。主イエスはこのように言われた。「…見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28:20)

主は私たちを守り、祝福し、いつまでも共にいてくださると約束してくださっている。神の祝福と守りを信じ、感謝し、告白していきたい。

愛する天のお父様、あなたの祝福と守りをありがとうございます。今日もあなたを信頼して歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。