私たちの所有地
「時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記 12:7)
土地がアブハムとその子孫に与えられることは祝福のしるしであった。土地を持たない民にとっては余計そうだろう。
土地の所有に関しては先住民のもの、早い者勝ちという通念があるが、既に占有もしくは所有されている土地が欲しければ交渉するか、もしくは力づくで奪うしか方法はない。今日のロシアとウクライナ問題は国際問題に発展してしまった、そのよい例である。
主がアブラムにカナンの地を与えるといわれた時、財産を持っていたアブラムは土地を購入し始める。当時は現代と比べて人口もまた少ない時代ではあったとはいえ、力ずくで奪うとなると感情問題に発展する。
今日のパレスチナ問題は複雑な土地問題だけではなく、長年の歴史問題でもある。第三者の私としては客観的な見方しかできないが、神がアブラムに与えられた土地を、アブラムの息子イシュマエルとイサクの子孫が争っている構図がある。
世の中にあるあらゆる問題に対して、私たちは神の視点から物事を見ない限り、人間的なものに左右されてしまう。
土地の問題に関して私見ではあるが、私たちが天の御国を受け継ぐという神の約束を与えられている以上、地上の所有物や財産に対する頓着がない。天における神の国を受け継ぐことに興味がある。神がそのように約束してくださっているのだから、とても楽しみだ。
愛する天のお父様、あなたが私たちを祝福し、天の御国を受け継ぐことができるようにしてくださったことを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。