聖霊によって導かれることを待ち望むこと
聖句:”そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」”ルカの福音書 2章25~32節あ
観察:シメオンは、正しく、敬虔な人と記されています。 彼は、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。 イスラエルの多くの人々と同じように、シメオンも主のメシアを待ち臨んでいました。 主はこれから来る者たちへの慰め主です。 多くの人が主のメシアを待ち臨んでいる間、イスラエルの多くの人は、イスラエルの慰めの到来を見逃していました。 人々は当然の如くメシアの到来を求めていました。 ルカがシメオンを「正しく、敬虔な」人であったと書いたことが、すべてを物語っています。 多くのイスラエル人は、あるべき姿で人生を生きていなかったのです。 シメオンはただ漫然とメシアを待っていたのではありません。 彼は期待して待ち続け、神殿に行き、そこでようやくイスラエルの慰めに出会ったのです。 神様はシメオンに答えてくださいました。 神を待つということは、待っている間の時間つぶしをすることではありません。 シメオンは神様のタイミングを待っている間、自分が待っているものが必ず来るという大きな期待を持って、その到来を楽しみにしていたのです。 彼は信仰をもって待っていました。 彼はただ座って時間をつぶしていたのではなく、宮の中庭に通い、そこでようやく自分の待っていたものに対する神の答えを見ることができたのです。
しかも、シメオンは正しく敬虔な人であり、聖霊が彼の上におられました。 彼は聖霊に導かれ、主のメシアを見たいという願望に意図的に生きていました。 この新しい年、私はイエスさまとの歩みに意図的でなければならないことの気づきが与えられています。意図的な霊的成長の特質についての気づきは、
– シメオンのように、私は、イエスと共に「正しく、敬虔な」霊的な歩みをすることにコミットしなければならない。
– シメオンのように、私は、聖霊が私の上に、そして私の中にいることを許容しなければならない。
– シメオンのように、私は、聖霊に導かれなければならない。
– シメオンのように、私は、神様のメシヤの約束を握り締めていなければならない。
– シメオンのように、私は、自分の人生における神様の約束のタイミングを辛抱強く待たなければならない。
– シメオンのように、私は、神様の約束の答えに満足していなければならない。
適用:今年は、シメオンがイスラエルの慰めを待ち望んだように、私もそのようになれるよう祈ります。 私は、聖霊が私を導いてくださることを望みます。 私は、聖霊が私の中で取り組むべきことを進めてくださるように、自分を備えていきたいと思います。 私は、今年のイエスさまの目的が成就されて行くのを見るために、進んでイエスさまと共に歩みながら、私の心を開いていきます。 私は、2023年を主の導きに改めて委ねます。 祈り:聖霊様、私の人生にイエスの目的が成就されるよう、私を導いてくださいますように。 あなたの導きのままにあなたと共に歩み、私が待つべき期間、あなたを待つことができるように、私に知恵と忍耐と勇気と信仰を与えてください。 2023年に父なる神様が私に望んでおられることに忠実かつ期待を持っていられるように導いてください。 私の人生のすべての領域で、あなたのリーダーシップに目を向けます。 私を教え、正し、叱り、導き、そして、今年もあなたと私の家族とあなたの教会に仕え、実りある人生を送ることができるように助けてください。