神から出た人

「盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」(ヨハネによる福音書‬ ‭9‬:‭32‬-‭33‬)

ある時、イエスは地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。

人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。すると、パリサイ人のうちのある者たちは、「その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者ではない」と言った。ほかの者たちは「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうか」と言った。そして、彼らの間に分裂が生じた。(ヨハネの福音書9:6,7,13-16)

パリサイ人の説明に反して、癒された人も他の人も、人の目に泥を塗って見えるようにする人が罪人ではなく、神から出た者だと主張した。するとパリサイ人は、癒された人や他の人に対して、「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」と攻撃的な言葉を発し、そして彼を外に追い出した。(ヨハネの福音書 9:34)

妬みにかられて言動したパリサイ人たちは、自分たちの理不尽なルールを押し付けるばかりで、肝心な神の働きを見失っていた。

私たちは神の働きを見失うことのないように謙って歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの働きに盲目になることがありませんように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。