サーバントリーダー
聖句:
“彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。彼らは聖句を入れる小箱を大きくしたり、衣の房を長くしたりするのです。宴会では上座を、会堂では上席を好み、広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。”マタイの福音書 23章5~12節
観察: イエスさまは弟子たちに、二つの異なる心の持ち方について語りました。 イエスさまは、律法学者たちとパリサイ人たちはモーセの席に座っていると言われました。 モーセの席とは、権威のある場所、指導者、監督者、そして神様に代わって民に語りかけ、民のために神様に語りかける者です。 人目をひく場所です。 律法学者やパリサイ人たちは、衣服のガウンや房を長くしたりしています。 モーセの席に座っているこれらの指導者たちがしていることは、民のためではなく、自分たちと自分たちの評判のためにです。 イエスさまは彼らが何者であるかを分析しtいます。 イエスさまは彼らがなぜモーセの座に座っているのか、その本当の動機を暴かれます。
イエスさまは、彼らは人に見られるためにこれらすべてをやっていると言われました。 彼らは自分がいかに偉く重要な人物であるかを見せようとします。 それは単なる彼らのイメージをよくするためです。すべて彼ら自身のためです。 サーバント・リーダーという言葉があります。その考え方と心の持ち方が、そのような人がどのように人々を導くかを決めていきます。 僕は素直な人たちです。人の話をよく聞き、人々の人生や心配事をどうしたら和らげられるかを考え、やって欲しいと頼まれたことは喜んでやってくれます。 彼らは自分のためではなく、他人のために存在しています。 普通のリーダーの物の見方とその姿勢は、次のような考え方から始まります:私はリーダーであり、私が主導権を握り、皆が従うべきである。 私はリーダーであり、私が主導権を握らなければならない。 なぜなら、彼らの思考プロセスはしばしば、「私はリーダーである。」というところから始まり、「必ずしも人々の奉仕者である」という意識はありません。 イエスさまはこの態度の違いを以下のリストで指摘されています。
– 彼らは宴会で上席を好む。- 会堂では上席を好む。- 彼らは広場であいさつされることが好きである。- 彼らは、人々から先生と呼ばれることが好きである。
リーダーという役割を担っている人の多くが上記のような心を持っています。 若いリーダーだった私も、このリストにあることがリーダーであることとして当然だと考えていました。 しかし、私は、イエスさまから、リーダーとは、このリストのどれにも当てはまってしまってはならないことを学べたことに感謝しています。 リーダーとは、肩書きや地位や評判ではなく、奉仕者として人々の中にいる人のことです。 リーダーとは、自分の肩書きや地位を重要だと考えるものではありません。 リーダーとは、自己顕示欲や、部下に対する権力を享受することではありません。 リーダーは、人からの喝采や賞賛を気にすることなく、その代わりに、謙虚さをもって人々に仕えなければなりません。
自分を高くする者はへりくだり、自分をへりくだる者は高くされるのです。 イエスさまは、自分を「ラビ」、先生、指導者と呼無ことなく、喜んで仕える人となるようにと言われました。 イエスさまは「心のあり様」に言及されたのです。 地位や肩書きを求めるのではなく、イエスさまにある兄弟姉妹に仕えることを目指す指導者になるにはどうしたらよいかを、イエスさまは教えておられたのです。
適用:私はまだまだです。 これからも、奉仕の心を持った人間として、リーダーシップを発揮できるように努めていきたいと思います。 プライドというのは微妙なものです。 肩書きやリーダーシップが不可欠な環境では、常にプライドが高くなります。 しかし、今日、私は、サーバント・リーダーにとって大切なことは、他者のために仕えること、他者の前で謙虚に歩むことだと教えられました。 私は、常にこの姿勢で人生を歩んでいかなければなりません。
祈り:イエスさま、私を導き、あなたが私をサーバントリーダーとして召されたことを理解することができるように私を助けてください。 他の人の間で影響力を持とうとするのではなく、他の人に仕えようとするリーダーとはどういうものかを私に教えてください。 あなたの謙遜さを教えてください。私の「ラビ」、教師、指導者としてあなたと共に歩むことができるよう私を導いてください。 今日、謙遜に歩み、仕える心を持つことを思い出させてくださりあり感謝します。