霊肉の汚れから自分をきよめる

「愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。」(‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭7:1‬)

私たちが救いを受け入れたとき、神は私たちを肉と霊とのいっさいの汚れからきよめてくださる。

きよめることにおいて私たちにできることは、神をおそれることだ。つまり自分の罪を認めることである。

私たちが自分の罪を認める時、私たちは罪を赦して頂ける。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(‭‭ヨハネの第一の手紙‬ ‭1:9‬)

きよめに関して、旧約聖書では水が用いられることが多い。水で洗い流すのは象徴的なことである。

私たちが自分の罪を認め、神の前に告白をするとき、神は私たちの罪を赦し、肉と霊とのいっさいの汚れから私たちをきよめてくださる。神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義から私たちをきよめて下さる。罪の告白をすることで罰せられることがないのは安心だ。

私たちの霊と肉において犯した罪の汚れから私たちをきよめてくださる主を信頼して歩みたい。主は私たちを罰するのではなく、完全に赦しくださったからだ。

愛する天のお父様、あなたを畏れます。あなたは御子イエスの十字架のあがないにより、私たちの信仰によって肉と霊の汚れをいっさいきよめてくださいました。罪の赦しときよめを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。