主と同じ姿に変えられていく

「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭3‬:‭18‬)

私たちは変えられてゆく。どのように変えられてゆくか?主と同じ姿に変えられていくのである。

私たちは主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと変えられてゆくのだから、最後にどんでん返しがあるわけではなく、日々、徐々に、プロセスを経て、ゆっくりと、そしと確かに主イエスキリストと同じ姿に

変えられてゆく。

私たちが天国に行けること自体、とても感謝なことであるが、天国に行く前に日々変えられていることも、実に素晴らしいことである。天に宝を積むという点においては、なんとかギリギリ天国に入ることよりも、神を信頼して歩み、キリストと同じ姿に変えられてから行くのでは違うからだ。

今日も主にあって変えられ、主を信頼して歩みたい。

愛する天のお父様、今日も私を変えてください。主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。