暗い中に隠れていることは明るみに出される

「だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。」(コリント人への第一の手紙‬ ‭4‬:‭5‬)

この聖書箇所でパウロがいう「先走り」とは、神のペースよりも自分のペースを速くして、様々なことを決めつけ、さばいてしまうことだ。さばくのは、私たちの主イエスキリストである。

主が来られた時、主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、私たちの心の中で企てられていることを露にされ、私たちは神からそれぞれほまれを受けることになる。

そしてイエスキリストを信じ、救いを受けた者たちにとって、さばきの日は喜びの日であり、恐怖の日ではない。しかしイエス・キリストを信じなかった者たちは、「御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げて」(ローマ2:5)いるため、神は「ひとりひとりに、その行いに従って報いをお与えに」(ローマ2:6)なる日であり、燃える火の池を免れることができない。

救いを受けた者には、キリストの義が転嫁され、「いのちの書」に名が記され、天の御国に入ることができる。だから私たちは、この良い知らせをすべての人々にメッセンジャーとして伝える使命がある。

私はさばかれる主を待ち望んでいる。主の救いをすべてな人に受けて欲しい。

愛する天のお父様、あなたの救いをありがとうございます。あなたの約束は確かです。あなたの救いを

待ち望みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。