結婚すべきかすべきではないか

「おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。 わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。」(‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭7‬:‭25‬-‭26‬)

パウロは未婚の女子もしくは男子に対して結婚に関する自分の意見を述べた。

コリント人への手紙を執筆していた時に何かしらの生存危機が迫っている状況だったのか、パウロは結婚適齢期を迎えた子どもたちを親が結婚しないままでいることをよしとした。

パウロ自身も独身であったが、結婚の中にある素晴らしい面と現実的な苦しみにも言及した。結婚することで、実際私たちの心はどのように動くのか?パウロは言った。「未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。」(コリント人への第一の手紙‬ ‭7‬:‭34‬)

パウロは決して結婚を禁じたのではなく、当時コリントの教会にいた信者たちが置かれていた状況を鑑みて自分の意見を述べたのである。主の命令を受けていないと言っている通りである。

パウロはむしろ結婚を肯定し、お互いに愛し合い、赦し合うことの大切さを強調している。私たちが自分の娘、もしくは息子を結婚させるのも独身のままにさせるのも良いことであり、最終的には私たちがどのように結婚生活を送るのか、結婚を通して愛や赦しを実践できるのかが大切だ。

アダムとエバに始まり、社会的承認を受けた夫と妻の結合とする結婚を主は祝福しておられる。また結婚は、本人たち、または家族や友人たちにとってチャレンジも大きいが喜びも大きい。

何よりも結婚で最も影響を受けるのが子どもたちだ。子どもの人格や価値観は育った環境から影響を受ける。事実、残念ではあるが、完全な夫婦や親は存在しない。つまりすべての親が生まれもってきた原罪、さらにはまだ悔い改めて断ち切られていない罪により、厳密に言えばすべての家庭は機能不全状態に陥っている。人の罪や悪魔の策略により結婚は破壊されて捻じ曲げられ、結婚観は歪められてしまい、結婚に対するマイナスなイメージを抱く人もいることは確かだ。

しかし、私たちの主は罪の呪いを打ち破り、負の連鎖を断ち切ってくださる。主は私たちに憐れみと恵みを注いでくださり、祝福し、結び合わせてくださった。だから私たちは結婚を尊ぶ。結婚は結婚当事者のみならず、周囲の人々、特に子どもたちに多くの祝福を与える機会となる。

パウロのように、現在危機的局面にあるなら、結婚せず、また待つのも選択肢の一つかもしれないが、主の導きにより結婚するのも素晴らしい選択肢の一つである。

私たちが結婚するなら、主の導きを求め、結婚した後は主の助けを求め続けて歩んでいきたい。

愛する天のお父様、あなたは結婚を祝福され、また独身も祝福されています。一人一人があなたの導きを求め、助けを得ることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。