目を覚ましていなさい

「目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。」(‭‭マルコによる福音書‬ ‭13:37‬)

終わりの日について主イエスは言われた。「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。」(‭‭マルコによる福音書‬ ‭13:24-27‬)

森羅万象は揺り動かされ、イエスキリストが再臨される。より詳しいことについては黙示録の後半に記されているが、イエスキリストが雲に乗って来るのを、私たちは見るという。まるでおとぎ話のように聞こえるかもしれないが、これは二千年前から預言されているイエスの言葉である。

そのための前兆についても述べられた。「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。 また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。」(‭‭マルコによる福音書‬ ‭13:6-8) 夏が近づくといちじくの木の枝が柔らかになり葉が出るように、終わりの人と主の再臨が近づくと戦争や地震が多くなる。

また主は私たちにどうすべきかを教えられた。「あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。 こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。 そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。 また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。 また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 この事が冬おこらぬように祈れ。 その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。 もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。」(‭‭マルコによる福音書‬ ‭13:9-20‬)

終わりの日にはかつてなく今後もないような患難が起るが、私たちは恐れる必要はない。なぜなら主が選ばれた選民、つまり神から救いを与えられた者たちは呼び集められ救われるからだ。東は日本、西はアフリカ、北はヨーロッパ、南はオーストラリアから私たちは呼び集められ、患難や困難またトラブルの中から救い出される。

だから私たちはまどろむことなく目を覚まし、いつ主が来られても良いように期待感をもって待ち望みたい。主は必ず来られるからである

愛する天のお父様、私たちがあなたから与えられたものに対して忠実でありますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。