資産運用

「あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。」(‭‭ルカによる福音書‬ ‭19:26‬)

イエスがこのように話された。「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。」 (19:12−13)

1ミナは100デナリに相当した。これは、当時の労務者100日分の労賃である。今日でいえば、ざっくり100万円に相当する。

「ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。」(19:14)

 僕(しもべ)たちへの惑わしの言葉を口にしたのだろう。

「さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。 主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。 次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。 そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。 」(19:15−18)

主人がしもべに望んでいたのは、委ねられた元本をもとに運用することであった。1ミナは貯蓄するために手渡されたのではなく、運用して増やすために渡されたのであった。その結果10倍の売り上げた者には10の町のリーダーとなり、5倍の売り上げた者には5の町のリーダーを任された。

すべて人が商売しなさいということではない。私たちは、主人から託された元本は、お金だけではなく、賜物や時間も含まれるかもしれない。私たちの主なる神は、この話を通して神の国のために神が与えたものを用いるようにチャレンジをしていないだろうか?

例えばリーダーシップの賜物が与えられたら、多くの人々と関わり、彼ら生活や利益や幸福をもたらすことが求められる。教師の賜物がある人は、教えること。管理の賜物がある人は、よく管理すること。与える賜物のある人は与え、信仰の賜物がある人は、人々の信仰を強めるために用いるのである。

聖書の話に戻るが、それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。 あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。 

彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。 では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。 

そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。 彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。 『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。 しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』。(ルカによる福音書‬ ‭19:20-27‬)

私たちが与えられたものを用いないのなら、私たちは取り上げられてしまう。決して焦ったり、無理をせず、私たちは与えられたものを神の国のために用いて、神の目から見て多くの実を結ばせたいものである。

愛する天のお父様、あなたが私に託されたものに対して忠実であり続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。