神に対して富む
「そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。」(ルカによる福音書 12:19-21)
私たちが自分のために積んだ宝は、一夜の内に失う可能性がある。しかし、多くの人たちはこの地上で富を蓄えることに必死である。そして、富が蓄えられたら、『さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』と快楽に走る。
富を蓄えること自体、また安心すること自体、グルメを楽しむこと自体、何も悪いことではない。だだ私たちが自分の力を過信し、自分のために宝を積もうとする時、それはあくまでも一時的な富であり、その不確実な富に頼ることになる。そんなに恐ろしいことはない。私たちに必要なのは消え去ることはない、永遠の富である。
イエスは言われた。「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。」(ルカの福音書 12:31-34)
神の国、神の支配を第一に求めるように主は言われた。そうすれば、衣食住の心配は神が与えてくださるからだ。私たちは恐れなくてよい。神に対して富むとは、天に宝を積むことである。神のために生き、神のためにささげる者でありたい。自分自身の心配は主がしてくださる。
天に宝を積む方法は、具体的にはたくさんある。主を愛し、隣人を愛することを実践したい。
愛する天のお父様、あなたに対して富む者となりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。