神の言葉と祈りの力

「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」(ルカの福音書 4:1-4)

イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、神の霊なる聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカの福音書 3:22)

イエスは神の愛を受け、聖霊に満たされていた。その後、聖霊によって荒野に導かれた。荒野は岩がゴロゴロ転がり、植物や動物もほとんど姿を見ることもない、過酷な場所である。そこで、イエスは四十日間、悪魔の試みを受けられ、その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。人として最も弱まった状態だろう。

そんな時に悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」悪魔の甘い誘惑、また悪魔の狡猾な騙しに対して神の言葉を持って退けたのである。

石をパンに変える力を持ち得ており、パンを食べることも、断食を終えた後の状態だった人としてのイエスには必要なことではあっても、これを持ちかけたのが、私たちの敵であり、盗み、殺し、滅ぼす偽りの父なる悪魔であったため、悪魔の言うことには耳を貸さなかった。

一見当たり障りないことを持ちかけて自らの支配下におこうと企むのが悪魔の常套手段だ。父なる神の御心を常に求め、神の言葉によって生きるイエスは悪魔の囁きに惑わされることもなく、当然のごとく神の言葉をもって退けた。

聖霊に満たされているところにも悪魔はやってきて、誘惑をする。特に肉体的に弱まっている状態の時、悪魔は甘い言葉をもって近づいてくる。聖霊に満たされ、神の言葉に立つ時、私たちは悪魔を退けることができる。

主イエスはゲッセマネの園で寝ていた弟子たちに言った。「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」(マタイの福音書 26:41)

私たちは悪き者の誘惑に打ち勝つために、意識して生きること、祈り続けることが大切だ。

愛する天のお父様、あなたの愛と希望と平安にあふれる言葉を感謝します。あなたの言葉に立って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。