主の器
「するとマリヤは言った、 「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救主なる神をたたえます。 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。 今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。 そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。 」(ルカによる福音書 1:46-50)
ダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていたマリヤは処女であり、まだ男性を知らなかった。
ある時御使いがマリヤのところにきて聖霊によってみごもり、男の子を産むと言った。さらにその子をイエスと名づけるように言われた。その男の子は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられ、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続く、という預言だった。
そして、マリヤの親族エリサベツも老年ながら子を宿し、不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっていた。 御使いは言った。「神には、なんでもできないことはありません」。
マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 声高く叫んで神をほめたたえた。
そしてマリヤは言った。「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。 今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう。力ある方が、わたしに大きな事をしてくださったからです。」
主が心をかけてくださったことでマリヤは主をあがめ、救い主をほめたたえた。生まれてくるイエスは大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられ、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くという。マリヤは、神が人となってこの地に来られるために選ばれた器であった。
私たちは主の偉大なご計画の器として用いられる。ひとりひとり違うが神の子どもとされ、神に愛され、神のご計画の一部を任された。主のあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及び、主は私たちをご自身のために用いてくださる。
私たちの価値は役に立つかどうかにあるのではない。私たちが主に愛され、永遠のいのちを得、神の子どもとされたことに、私たちの価値がある。私たちには途轍もない永遠の価値がある。
愛する天のお父様、あなたの愛を感謝します。あなたに愛されているからこそ、私たちには果てしない永遠の価値があります。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。