神の民
「主は御民を喜びのうちに導き出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに。主は彼らに国々の地を与えられた。国々の民の労苦の実を彼らが受け継ぐために。これは 彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを保つためである。ハレルヤ。」(詩篇 105:43-45)
主なる神はアブラハムと特別な契約を結ばれ、アブラハムの孫ヤコブの名をイスラエルとし、イスラエルの子孫たちを自分の民、イスラエルと呼んだ。
イスラエルの民はエジプトにおいて奴隷としての苦役から解放され、「国々の地」を与えられた。その国々とはカナンの地にあった国々である。そしてカナンの国々の民の労苦の実をイスラエルの民が受け継ぐようにされた。神が主権をもって、カナンの国々の労苦の実を与えられた。当時のこれらの国々は偶像礼拝をして滅ぼされてしまった。
その目的は、イスラエルの民が、主のおきてを守り、そのみおしえを保つためであった。
今日に至るまで長い歴史の中でイスラエルとそれ以外の人々との間に確執が生まれたのは、イスラエルに対する妬みである。神から特別に祝福が与えられていることにサタンは快く思っていないため、反ユダヤ主義が今もなお続く。
しかし、特別に扱われているのは、イスラエルの子孫、つまり今日「ユダヤ人」と呼ばれている人たちだけではない。神の御子である主イエスキリストを信じた者は、人種や血筋にかかわらず、信仰によって神の民となり、彼らには特別な賜物である永遠の命が与えられる。
神の祝福はイスラエルに与えられたが、真の祝福は神の御子イエスキリストを救い主として信じるすべての人に与えられる。自らを選民として意識しているユダヤ人たちにしてみれば、自分たちだけが神の民ではないことは、妬ましいことでもある。
ユダヤ人であり、ユダヤ人以外の異邦人たちに宣教していたパウロはこう言った。「私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。」そして、異邦人であるローマの人たちにこう言った。「兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼ら(ユダヤ人)の不従順のゆえに、あわれみを受けています。それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。(ローマ人への手紙 11:14,25,30,31)
ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、人間すべてに神が望んでおられることは「主のおきてを守り、そのみおしえを保つ」ことである。主のあわれみによって救われたことを感謝したい。
愛する天のお父様、あなたのあわれみと救いを感謝します。あなたの教えを守り、あなたのことばに聞き従うことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。