イエスさまは誰が自分のものかを知っている
タイトル: イエスさまは誰が自分のものかを知っている
聖句:
“イエスは彼らに答えられた。「わたしは話したのに、あなたがたは信じません。わたしが父の名によって行うわざが、わたしについて証ししているのに、あなたがたは信じません。あなたがたがわたしの羊の群れに属していないからです。わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。
わたしと父とは一つです。」”
ヨハネの福音書 10章25~30節
観察:
イエスさまは、自分が神の子であるという主張していたために、パリサイ人たちと対立していました。 宗教指導者たちは、イエスさまが神の子であることを決して認めようとしませんでした。 彼らは常にイエスさまのアイデンティティを疑っていました。 彼らはイエスさまの出生に疑問を持っていました。 イエスさまは、自分が誰で、どこから来て、何をして、どこへ行こうとしているのか、彼らが理解できるように説明を試みます。しかし、彼らはそれを理解しようとせず、信じようともしませんでした。 イエスさまは自分を信じる者と拒否する者とをはっきりと区別します。 イエスさまは信じる者を羊と呼んでいます。多くの人が自分はイエスさまを信じる者、イエスさまに従う者であると主張していますが、彼らはこのテストに合格しなければなりません。 イエスは誰が自分の羊であるかを知っておられます。
イエスは次のように、自分の弟子たちを羊と呼んでいました。
o 彼らは私の羊です…羊は羊飼いのものであり、羊飼いに依存しています。羊はすべてにおいて羊飼いが頼りです。 羊は羊飼いに水を求め、草原で草を食べる場所を求め…彼らが羊飼いに従い、羊飼いが彼らを導きます。
o 彼らは私の声を聞く…悲しいかな、多くの人はイエスさまの声を聞いていません。彼らは他から聞こえてくるさまざまな声を聞いてしまっています。 イエスさまは語り続けておられるのに、多くの信仰を告白している信者はイエスさまの声を聞いたことがないと言っています。 イエスさまはいつも私たちに語っておられますが、問題は、私たちが喜んでイエスの声を聞いているかどうかです。 もし私たちが本当にイエスさまに耳を傾けるなら、私たちの人生の多くが変わります。
o 彼らはイエスさまに知られています。 イエスさまは誰がイエスさまの信者であるか知っておられるので、誰も自分がイエスさまの信者であると主張することはできません。 パリサイ人たちは宗教家であり、神を知っていると主張しましたが、彼らが神を知らないことはイエスさまによって証明されています。 神様は自分が誰が神様の者であるかを知っておられるのです。
o 彼らは私に従う…非常にシンプルな言い方です。信じているものの、私たちはすべてにおいてイエスさまに従っているでしょうか。イエスさまが私たちに語りかけていることすべてに従おうとしているでしょうか。 従うというのは聞くことであり、聞くというのはイエスさまが私たちの人生に語りかけてきたことに従うことです。
o 彼らは永遠の命を与えられます…イエスさまは永遠の命を許可し与える唯一の方です。 私は、イエスさまを信じると同時に他の何かを信じているとは言えません。 私が永遠のいのちを持つのは、キリストだけなのです。
o 彼らは決して滅びない…これは私たちの自信であり、安心を与えてくれます。 私たちは決して滅びることはありません。私たちは、永遠の命に運命づけられているのです。
o だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません…父の御手から私たちを奪い去るものは何もありません。 私たちはすべての危害から守られているのです。
o わたしの父がわたしに与えてくださった…私たちは、イエスさまが十字架上で苦しまれたその報酬です。 私たちはイエスさまのものであり、イエスさまは私たちのものなのです。 私たちがキリストと持っている関係は、なんと素晴らしいものでしょう。
これらは、羊飼いのケアのもとにいる人々についての驚くべき真理です。 救い主キリストは、ご自分がケアをしているすべての人に、ご自分に従う者として、素晴らしい祝福を与えてくださいました。 キリストに従う者としてのこれらの真理を思い起こすことができるのは、なんと嬉しいことでしょう。
観察:
自分の救いを当たり前だと思っていることがいかに多いことか。 私は日々、イエスさまにある自分の立場がいかに力をもったものかを思い起こし続けます。 私と主との関係の基礎となるこれらの真理を、私は決して当たり前だと思ったり、おろそかにしたりしたくありません。 私が主にとってどのような存在であるか、主が私にとってどのような存在であるかをいつも思い出させてくださる主に対し、日々感謝します。
祈り:
イエスさま、あなたの愛は素晴らしく、あなたの知恵は私たちの理解を超えています。 あなたにとって私がどんな存在であるか、そして私にとってあなたがどんな存在であるかを思い出させてくださることに感謝します。 私はあなたのものであるという安心感を与えてくださっていることに感謝します。 私に永遠の命を与えてくれて感謝します。あなたの御手の中で私のことを見守り、私が守られていることに感謝します。 私と私の愛する人たちに対するサタンの働きを打ち砕き続けてくださるよう祈ります。 日々、あなたの近くにいることができますように。